マイナス志向

次元の境目を行きつ戻りつ

「ほぼ全通」の枷

私は最近喜ばしくも珍しくもなくなった、若手俳優おたくです。

とある俳優を4年間応援し続け、推しだ推しだと公言していましたが、2016年をもってひっそりと彼を推すことをやめました。

私にとって推しとは、舞台があれば全通の如く通い、イベントをやれば必ず参加し、チェキなど接触の機会があれば逃さず金を積む、というまあ文字通りのおばかさんなおたく行為の対象です。おばかさん、と自嘲はしますが私自身はそれをおばかだとは決して思っていません。客観的に「ああこの喪女は彼氏も作らず、彼氏になってくれる可能性もない男に延々金をつぎ込んでいて人生この先どうするんだろう」と憐れまれていると知っていても、それでも推すことが楽しくて、彼の演技を観たくて、彼が数秒でもいい自分を観てくれるのが嬉しくて通っていました。なので、これまで落とし続けてきた額は後悔していませんし、するものでもないと思っています。どうせ戻ってこないしね。

 

推すことをやめた理由、というのは色々あります。

プレゼント問題でエアリプマウントを取られたり、最近よくあるディナーショーとかで同担のおたくと無理やり接触を持たなければならなくなったり、同担おたく同士のつながりが強くなった結果コミュ障の私の肩身が狭くなったり。最後のは自業自得なのでよいのですが。

でも第一はやっぱり「出演作が面白くなかったこと」でした。

私は某2.5次元作品から推し沼に落ち、以降4年間、彼最優先でスケジュールもお金も組んできました。ハマった当時は学生でしたし、他の趣味もありました。またアイドル含め「自分のお金だけで応援すること」が初めてだったので、私なりの、という注釈がつきますが、それでも他に気になる俳優がいても「推しの舞台と被ってるから」という理由で行くのを諦めたり、とか、そういうのが普通にありました。

推しの演技を観られるのは嬉しい。それだけで価値がある。

でも、それだけではいられなくなっている自分にも自覚せざるを得なくなってきたところがあります。

私の実年齢は20代半ばなのですが、そろそろ同輩の結婚報告も聞こえてくるようになり、自分自身「今はとっても楽しいけれどいつまでこうしていられるのかな」と不安になったりすることもあります。推しと同じ空間にいられる数時間は最高に幸せだけれど、それ以外の長い時間をどうやって過ごすか、悩まないではいられません。

作品が面白くなかった、というのは、あくまで主観的な問題です。楽しめなかった私にも責任があるかもしれない。でも、舞台って結局趣味だと思うんです。私一人が応援しても推しは毎日ごはんを食べられないし、私一人が応援しなくても、私以外に推しを応援してくれるおたくは沢山いる。だから、出演作を面白い面白くないと言える権利は、お金を払って劇場に直接足を運んでいる限り、少なくとも多少は存在すると思っています。

なんでこんな迂遠な言い方をするのかと言えば、私が推し信仰系のおたくだったからです。推しのすることはすべて可愛い、推しが存在してくれるだけで有難い。だったので、私にとって「推しの舞台つまらない」と言うことは結構勇気のいることでした。

 

全通に近い枚数を確保していたその作品、結局観に行ったのはたったの2回だけで、あとは全て手放してしまいました。リピーター特典もあったのに、それすらどうでもよくなってしまうほど、その作品は私の好みとは外れていて、また2回見てもよさを理解できませんでした。

舞台俳優って頻度の高い人は毎月のように何かしら舞台をやっていて、しかも公演数がすごく少なかったりすると、必然的に関わる作品数も多くなっていくものなんだと思います。その中に、当たり外れがあるのも当然だと思います。でも、そんなことが二度三度続いて、しかもそれを何度も観ていると、「私なんでこれ何度も観なきゃいけないんだろう」という気持ちになってくるんです。

チケット取ってるのは自分のくせに。

時間は有限です。特に女は。その若さをまるごとドブに捨てて、私は推しの舞台に足を運んでいました。いや楽しかったからいいんですけれど。それでも自分の時間と金を削って舞台を観に来ているのに、それがつまらないってどういうことかと。しかもつまらないことがわかっていて何度も観なければならないのってどんな拷問かと。私がこのつまらない舞台を観ている間、私の2推しがもっと私好みの、面白そうな舞台をやっているのに、私はそれを諦めてまでこのクソつまらない作品を観ている。なんでだろう?

一度そう思ったら止められなくなってしまって、散々悩んだ末、推しを推すことをやめました。性格悪いこと考えてるなーって自分でも思います。でも本音なんだから仕方がない、別SNSもやっているのですが、そっちではあちこちに角が立ちそうで言うに言えないからせめてここだけは自分に正直になります。

それに推すことをやめるだけで、推しの舞台は変わらず観に行くつもりです、一作品一公演くらいは。でも、全通はもうしないと思います。

推しについてライトなおたくになろう、って2017年明けた時に自分と約束したんです。推しの舞台全通に拘らないで、もっといろんな作品を観に行こう、それで自分の価値観を壊されたり補強されたりして、中身を磨いていこう、って。

 

というかそもそも私が推し出演作(ほぼ)全通の枷に嵌ったのは、彼が初めて主演を務めた作品からです。初主演だから記念に、と思って有給取ってまで全通しました。

でもそうやって彼の出演作を全通していくうちに、私の知らないところで私の知らないアドリブや日替わりをしている彼がいることが不安になってくることに気付きました。

最近は特にツイッターで日替わりレポがどんどん流れてくるので、余計にそういう不安感は煽られます。「ああこの日の日替わりすごくかわいい」と思ったら、次の瞬間「それを生で観たかった、今日こうして家にいて暇だったんだから行っておけばよかった」という悔しさが生まれます。それが何度も積み重なっていって、「だったら行ける日は全部行っちゃえばいいじゃん」と思うようになりました。

例えば某テニスの舞台だったら一作品60公演もあるし地方もあるから全通は厳しいけれど、幸い推しは都内で両手からちょっとはみ出すくらいの公演数作品に出演することが多かったので、なまじやれば叶ってしまったことも要因としてあると思います。だから、休みの取れない平日昼間以外は大体事前にチケット取って行っていました。

つまるところ、それが、私の推しに対する独占欲でした。

 

そう、多分認めたくないだけで、殆ど同担拒否も同然だったんだと思います。

推しが私たちおたくに見せてくれているのはスポットライトの当たっている一面だけで、その裏はきっとどろどろのぐちゃぐちゃで、それこそ彼女を作ったり別れたり色々凄いんだと思います。皆夢見てるだけで心の奥底でわかってるんです、私たちが観ているのはつくりものの彼らだってことは。

でも、そのスポットライトの当たっている場所だけでも、私は全部知っていたかった。私の知らない推しがいるなんて嫌だった。

だから、自分にほぼ全通なんて要らない枷を嵌めて、勝手に身動きが取れなくなって、結果推すことをやめる、なんてところに着地してしまいまいした。

 

私はこういう性格をしているので、今はゆるくDDぶっていますが、それでも特定の俳優に対しては隙あらば全通したいと思っていますし、心根が変わらない限りまた勝手に苦しんで勝手に諦める機会は何度でも訪れるんだと思います。

でも、私は推しを推さなくなったことで、精神的にすごく安定しています。

推しを推さないと決めたことで、公演期間に私の知らない彼がいても悔しいと必要以上に思わなくなったし、時間もお金ももっと自由に使えるんだと心にゆとりがモテた気がします。勿論、彼が好きな役者の一人であることに代わりはありませんし、彼の演技を観たい気持ちもまだ衰えてはいないので、例えば演出家・脚本家・原作が好きな作品に出演するとなったらまた何公演も通ってしまうんだと思います。でも、面白い作品だったら何度見ても楽しめるだろうから、それは推しを推すに足る理由なので、私は胸を張って劇場に足を運べるだろうと思います。