マイナス志向

次元の境目を行きつ戻りつ

うってかわって二次創作の話になります。

 

二次創作、してますか?私はしてます。といってもすっごい狭いジャンルのすっごい狭い世界で細々とやってるような弱小人です。

小説自体は昔から書いていましたが、インターネット上に公開するようになったのはここ1年くらいで、読んでくださる奇特な方もいますがそれでも狭い世界です。イベントにも、サークルとしてこの前2度ほど出ました。コピー本でもいいんだ、って思ったらすごく気持ちが軽くなって徹夜して本を出しても3冊くらいしか売れなかったけれど、それでも手に取ってくれる人がいるのは嬉しかったです。この前ちっちゃいオンリーに出たら刷った7部が全部捌けてすごくうれしかった。頑張って徹夜してよかったなと思ったものです。

 

でも二次創作ってある意味もろ刃の剣ですよね。交友関係的な意味において。

二次創作を消費する側で交友関係を持つことがあまりないのでわからないのですけれど、生産する側で関係を持つと嫉妬とかプライドとかに挟まれていろいろ面倒な思いをします。あてこすりかよってエアリプを真に受けてショック受けたりとか、おべっかでネタを呟いてみたりとか、お世辞のふぁぼとか、何かいろいろとにかくめんどくさい。

個人的に、にょたとかパロとかってあまり好きではないのですが、そのせっまいコミュニティで盛り上がっている間は私も好きです、ってスタンスでその場にいなきゃいけないのがつらい。いなきゃいけないのがつらいと思っているなら席を外せという話なのですが、席を外したところで盛り上がって、置いてけぼりにされるののほうがつらいから、私はまだ我慢できるつらさをとる。

 

そしてもうひとつつらいのが、自分がおべっかを使うのと同じくらい、相手も自分におべっか使っているなというのがわかる時です。

そういうの、気を遣わせているなと思ってすごく申し訳ないけれど、まだ使ってくれているだけ有難いんだろうなとも思います。本当に嫌いな相手だったら鍵つけてブロックして、っていくらでもできるのがSNSのいいところであり悪いところですから。

そのおべっか合戦に入れないとき、入るのがいやなとき――これは多分プライドです。話を合わせてるな、って思われたくない、っていうプライド。私は友達が少ない人生を過ごしてきて人との距離の測り方がうまくなくて飲み会でのスマートな振舞い方も年齢の割にまったくわからないのですけれど、それでも年齢的にそうやって振舞わなきゃいけないんだろうなと思って「私そういう場慣れてますよ」みたいな空気を出そうとしてしまう。結果失敗することがわかったので、最近は「わからないのでお任せします」なり教えてください、っていう風にシフトしたのですが、それでも周りに空気読めねえなとか思われてるんじゃないかと思ったらどうしようもなくなります。生きてるのつらい。

とにかく、そういう二次創作で狭いコミュニティを形成してしまうと、そこから出ることも怖いし居続けることもストレスになる。そういう板挟みがあって、なんかこう、とてつもなく、全部ほっぽりだして逃げたくなる時があります。わりと頻繁に。

それでもそのジャンルが好きだから居続けたい、っていうのがあって、私はまだそこにいます。

私に居場所をくれる限り、私が彼女たちにとってまだそこにいてもいい人でいられる限り、私はそこにしがみつくんだと思います。哀れに。愚かしく。

ぐらぐらシーソー

気が鬱いだとき、Twitterで気軽に愚痴を吐けなくなったとき、私は最近適当なノートに愚痴を書くことにしていました。そんな感じで、ここを使っています。

 

若手俳優を好きになるとチケット問題に直面します。

大体一公演プレ、先行、二次、一般と幾つかチケット販売の期間が設けられますが、経験則的に言うと一般の前までに当てられなかったらほぼ手に入らないと思っていいと思います。あと当日券などで何とかする。譲渡も今は非常にグレーなラインにさしかかっていますが、そういう人づての何かをしなければ人気公演のチケットは手に入らないと思っています。

勿論、交友関係が広ければ友人のつてで、ということもできるでしょうが。お察しの通りコミュ障です。そんな友達いません。

 

当選しても流したりするアカウントは当たりにくくなる、という話を聞いてからは行きたい公演に行きたい公演分だけ掛けるようにしているのですが、それでも当たらない。徳が積めていないから当たらない。そりゃそうだ。徳を積ませてくれる友達もいないんですから。

この日に確実に公演をやっていて、自分はそのために予定を開けていて、でもチケットがないから行けない。有名な人を応援するにつれてそういう機会が増えました。以前私が推していた俳優さんは、何だかんだで全通も可能でした。演出家が好きじゃない、作品自体が面白くない、というネックがあればあるこそある意味では全通は容易だったのです。

しかし、人気のある演出家、元から根強いファンを持つ原作、キャストがいい、など要素がそろえば揃うほど、行きたいという希望が高まれば高まるほど倍率は上がります。当然ですが、行きたいファンがどれほど多くいてもご用意される席には限りがあるのです。その椅子取りゲームを運によって勝ち勧められなければ、どれほど行きたい公演でも行くことはできません。

 

それ以外にも行けない要因はあります。もう舞台の予定を入れてしまっている日に、あとから発表されたイベントがどっかぶりして、でも行きたくて、みたいなとき。そういう時は出演者には申し訳ないけれど優劣をつけて、都合をつけて行きます。下手をすれば元々取っていた舞台のチケットを紙屑にする場合もあります。ただ私の中のシーソーゲームはあまりにも絶対的すぎて、この時間この人が舞台に立っているのに私は何故今その場にいないんだろう、と思ったらきっと元から取っていた舞台はそれほど楽しめないのではないかということがあらかじめ分かっているので、紙くずにするのもやむなしと思ってしまう節があります。

あと、友人との遊びの予定が入っていて、みたいなとき。っていうか今まさにこれだからこれ書いてるんですよ。最近好きな俳優がきゅうにイベントキメてきて、その日にそこまで仲良くないむしろ初めて遊ぶみたいな子と一日仕事でテーマパークかあ…みたいな用事が入ってるとき、私はクズなので仮病使ってそのイベント行きたいみたいな欲、生まれるんですよ。今からでもなかったことにできないかなって普通に思ってる。だから友達いないんですけど。むしろこういう時友達いらねーなとすら思いますけれど。

 

でも私は断腸の思いで舞台の予定を諦めます。

その理由については、次のエントリで。

同担おたくとの接触

昨日の記事を書きながら思ったので追記。

 

私はコミュ障です。

昔友人をいじめていたせいで人を信用できなくなり、高校頃から自分から友人を作ることができなくなりました。元々対人関係に消極的で友人ができづらく、かつ私がいじめてしまった友人は中学入学後初めてできたともだちで、言葉で表しようのないほど感謝していた彼女を他でもない自分がいじめてしまったことで、人がどれほど簡単に人を嫌いになることができるか、残酷であるかを知ってしまったせいで「友人なんてできてもきっとすぐ私なんか嫌われるよ」と思ってしまうようにな…ったとかはどうでもいいんです。

とにかく私はコミュ障です。

だから推しにディナーショーとかできればやってほしくないし、泊まりがけバスツアーとかは死んでもやってほしくありません(推さなくなったのでもうやってくれてもいいんですが)。

 

ディナーショー、って主催によって形式は多少異なると思いますが、広い会場に丸テーブルとかをいくつか並べて、そこにどこでも座っていいよ~もしくはチケ番号が書いてある場所に座ってね~形式が殆どだと思います。

後者はまだいい、問題は前者です。完全に体育の授業で「はい二人組組んで」で余って先生と準備体操するタイプだった私が、どこでも座っていいと言われて座れるわけがないんです。

同行してくださる人が一緒だった時(先行一般でチケットが取れず、でもどうしても行きたくて病みきっていたところに譲ってくださった方で要は初対面。初対面の方とイベ中ずっと隣同士なんて…と譲渡希望の連絡をするのすら散々躊躇いましたが行きたさが勝ちました)(ちなみにその方とはつかず離れずの良くも悪くもない関係を築かせて頂いています)や早く来すぎてほぼ全部空いてる、みたいな状態だったらまだいいんですが、ちょっと遅れてきてほぼ埋まってる状態とか地獄です。

あと一つ席が空いていても「もしかしたら遅れてくる友達用に空けてある席かも知れない」と思うと座れないし、かといって二つ空きの席にはもっと座れない。私のあとから二人組がきたらどうするんですか。それに私なんかが同席してその場の空気が悪くなったらどうしよう…など色々考えて、まごついておどおどしていたら見兼ねたスタッフさんが席を勧めてくれたことすらありました。そのレベルのコミュ障なんです。

 

今はいい出会いやいいお友達に恵まれて多少吹っ切れてはいますが、それでも推し舞台(正確には元推しなんですが面倒なので推しと表記させて頂きます)にフォロワーさんが行っていることを知っていても声かけなかったりとか普通にありましたし今でもあります。感想はSNSで流せばいいし、直接語り合いたいとか思うこともそんなになかったからです。それよりも、終わった後はひとりでしんみりと舞台のことを考えていたいし、日替わりをメモしたりするので忙しいのでそんな余裕ないというのもあります。

でもディナーショーとかそういう場で、同担同士が繋がる場を公式に作られてしまうと、まあ皆さんコミュ力おありの素敵女子ばかりなので当然のように友達の輪が芋づる式で広がっていきます。フォロワーさんなんて顕著で、あなたのフォロワーは私のフォロワー、じゃああなたと私も友達!だって同じ推しくん好きなんだもん!って感じにどんどん推し界隈全員が顔見知りになっていくのが、ディナーショー行くたびにわかるんです。地獄です。

同じ席に座っていない人も友達、私の前に座っている人は右にいる人にも左にいる人にも挨拶してる、えっ何この会場にいる人全員知合いなの…?と戦慄してしまうくらいに推し界隈全員が友達になっていきました。

そして取り残される私。

地獄です。そりゃあもう地獄です。それを地獄と感じるんなら行かなきゃいいとお思いになるでしょうが、当時の私はそれを凌駕するほどの全通欲に駆られていましたので行かないという選択肢は選べませんでした。私がいない場所で私の知らないファンに愛想を振りまく推しなんて想像しただけで胸をかきむしりたくなりました。でも、私が同じ場にいる分には、推しが私以外のファンにいくらファンサをしてもぜんぜん気にならないので不思議なものです。監視下にある、という感じなのでしょうか。恐ろしい女おたくですね。

 

そしてディナーショーで繋がりを持った彼女たちは、当然のように舞台会場のロビー等でも和やかに談笑しています。私もヘタに何度もそういったディナーショーに参加している分、あ、この人見たことある、推しのおたくだと気付いてしまうわけです。それがなんかもう、すごく寂しかったんです。

それを寂しいと思うなら積極的に友達づきあいしていけよとお思いになるでしょうが私はコミュ障なんです。しかも推し界隈はかなり狭いコミュニティなので、もしコミュニティ内で嫌われてしまえば舞台そのものに行くこともつらくなるかもしれない。あ、あいつまた来てるよ、と陰口叩かれるのが怖くて、推しの演技を観たくて舞台に行くのに、舞台ロビーで推しのおたくに蔭口を叩かれるかもしれないと思うと舞台そのものに行けなくなってしまうかもしれないと思うと、怖くてそのコミュニティに飛び込むことができませんでした。

顔は知ってるけど中身は知らないくらいの関係性だったら、「あ、あの人またいる」程度で終わると思いました。人間性を知られていなかったのならそんなにひどい陰口は叩かれない。だから、私は孤独に推しを推し続け、舞台に通っていました。

それでいいと思っていたからです。

 

ただその後、推しに贈るプレゼントでエアリプマウント取られたりなんだりあったして随分疲弊してしまった私は、別の俳優に目を向けるようになりました。

割とDDなので、私には「舞台が決まったら一公演は行く」みたいな俳優が常時5~6人はいます。推し舞台と被ったら行かない(行けない)んですが、それでも推し一点張りの応援スタンスではなかったので、のんびり自分の楽なペースで応援できる俳優、そのひとりの舞台に足を運んだところ、とてもいい出会いがありました。

その結果幸運なことに、舞台のない日にも誘ってもらってごはんを食べたり、マチソワ間にお茶したり、休日に鑑賞会をしたり、そういう今までになかった「同担友達」ができました。

私が推しに認められない独占欲――言葉にはしないだけで、私が推しのことを一番好きなんだからという自負――に拘っていたせいでできなかった、カラオケでDVD見て「きゃーかわいー!」とはしゃいだりライブシーンでペンライトを振ったり、喫茶店で「あの俳優のどこが可愛い」みたいな話を延々したり、舞台が終わった後「あのシーンのあの仕草ちょう可愛かったですよね!」みたいな、そういう「素直な好き語り」を心のままにできる場所ができたんです。

でもそれは、その俳優のこと(便宜上仮推しとします)を本気で好きではなかったからです。舞台・イベントを無理に全通しようとも思わないし、発売された雑誌を全部集めたりすることもない。気が向いた時に好きなだけ見て、癒されて楽しんで、それで満足できる、ぬるいおたく活動ができる「程度にしか好きじゃなかった」からできたんだと思います。

推しのことはそんなこともできなくなるくらい、盲目的に好きだった。好きで好きでしょうがなかった。迷惑になるので出待ち・入り待ちだったりはしませんでしたが、気持ち悪い好き好きな手紙を初日・楽で必ず出していましたし、プレゼントも高価ではないながらたまに贈っていました。私にできる精一杯の好きを、青春を、全部彼に捧げているつもりでした。だから、他の同担おたくとは友達になれませんでしたし、なりたくもなかったんだと思います。

 

推しへの想いが薄まって、ちょうどいい濃さになった今、私は漸く同担の方と楽しくおしゃべりができるのかもしれないと思っています。まあ、そんな機会があるかはわかりませんが。

でもバスツアーは本当にやめてほしい。

「ほぼ全通」の枷

私は最近喜ばしくも珍しくもなくなった、若手俳優おたくです。

とある俳優を4年間応援し続け、推しだ推しだと公言していましたが、2016年をもってひっそりと彼を推すことをやめました。

私にとって推しとは、舞台があれば全通の如く通い、イベントをやれば必ず参加し、チェキなど接触の機会があれば逃さず金を積む、というまあ文字通りのおばかさんなおたく行為の対象です。おばかさん、と自嘲はしますが私自身はそれをおばかだとは決して思っていません。客観的に「ああこの喪女は彼氏も作らず、彼氏になってくれる可能性もない男に延々金をつぎ込んでいて人生この先どうするんだろう」と憐れまれていると知っていても、それでも推すことが楽しくて、彼の演技を観たくて、彼が数秒でもいい自分を観てくれるのが嬉しくて通っていました。なので、これまで落とし続けてきた額は後悔していませんし、するものでもないと思っています。どうせ戻ってこないしね。

 

推すことをやめた理由、というのは色々あります。

プレゼント問題でエアリプマウントを取られたり、最近よくあるディナーショーとかで同担のおたくと無理やり接触を持たなければならなくなったり、同担おたく同士のつながりが強くなった結果コミュ障の私の肩身が狭くなったり。最後のは自業自得なのでよいのですが。

でも第一はやっぱり「出演作が面白くなかったこと」でした。

私は某2.5次元作品から推し沼に落ち、以降4年間、彼最優先でスケジュールもお金も組んできました。ハマった当時は学生でしたし、他の趣味もありました。またアイドル含め「自分のお金だけで応援すること」が初めてだったので、私なりの、という注釈がつきますが、それでも他に気になる俳優がいても「推しの舞台と被ってるから」という理由で行くのを諦めたり、とか、そういうのが普通にありました。

推しの演技を観られるのは嬉しい。それだけで価値がある。

でも、それだけではいられなくなっている自分にも自覚せざるを得なくなってきたところがあります。

私の実年齢は20代半ばなのですが、そろそろ同輩の結婚報告も聞こえてくるようになり、自分自身「今はとっても楽しいけれどいつまでこうしていられるのかな」と不安になったりすることもあります。推しと同じ空間にいられる数時間は最高に幸せだけれど、それ以外の長い時間をどうやって過ごすか、悩まないではいられません。

作品が面白くなかった、というのは、あくまで主観的な問題です。楽しめなかった私にも責任があるかもしれない。でも、舞台って結局趣味だと思うんです。私一人が応援しても推しは毎日ごはんを食べられないし、私一人が応援しなくても、私以外に推しを応援してくれるおたくは沢山いる。だから、出演作を面白い面白くないと言える権利は、お金を払って劇場に直接足を運んでいる限り、少なくとも多少は存在すると思っています。

なんでこんな迂遠な言い方をするのかと言えば、私が推し信仰系のおたくだったからです。推しのすることはすべて可愛い、推しが存在してくれるだけで有難い。だったので、私にとって「推しの舞台つまらない」と言うことは結構勇気のいることでした。

 

全通に近い枚数を確保していたその作品、結局観に行ったのはたったの2回だけで、あとは全て手放してしまいました。リピーター特典もあったのに、それすらどうでもよくなってしまうほど、その作品は私の好みとは外れていて、また2回見てもよさを理解できませんでした。

舞台俳優って頻度の高い人は毎月のように何かしら舞台をやっていて、しかも公演数がすごく少なかったりすると、必然的に関わる作品数も多くなっていくものなんだと思います。その中に、当たり外れがあるのも当然だと思います。でも、そんなことが二度三度続いて、しかもそれを何度も観ていると、「私なんでこれ何度も観なきゃいけないんだろう」という気持ちになってくるんです。

チケット取ってるのは自分のくせに。

時間は有限です。特に女は。その若さをまるごとドブに捨てて、私は推しの舞台に足を運んでいました。いや楽しかったからいいんですけれど。それでも自分の時間と金を削って舞台を観に来ているのに、それがつまらないってどういうことかと。しかもつまらないことがわかっていて何度も観なければならないのってどんな拷問かと。私がこのつまらない舞台を観ている間、私の2推しがもっと私好みの、面白そうな舞台をやっているのに、私はそれを諦めてまでこのクソつまらない作品を観ている。なんでだろう?

一度そう思ったら止められなくなってしまって、散々悩んだ末、推しを推すことをやめました。性格悪いこと考えてるなーって自分でも思います。でも本音なんだから仕方がない、別SNSもやっているのですが、そっちではあちこちに角が立ちそうで言うに言えないからせめてここだけは自分に正直になります。

それに推すことをやめるだけで、推しの舞台は変わらず観に行くつもりです、一作品一公演くらいは。でも、全通はもうしないと思います。

推しについてライトなおたくになろう、って2017年明けた時に自分と約束したんです。推しの舞台全通に拘らないで、もっといろんな作品を観に行こう、それで自分の価値観を壊されたり補強されたりして、中身を磨いていこう、って。

 

というかそもそも私が推し出演作(ほぼ)全通の枷に嵌ったのは、彼が初めて主演を務めた作品からです。初主演だから記念に、と思って有給取ってまで全通しました。

でもそうやって彼の出演作を全通していくうちに、私の知らないところで私の知らないアドリブや日替わりをしている彼がいることが不安になってくることに気付きました。

最近は特にツイッターで日替わりレポがどんどん流れてくるので、余計にそういう不安感は煽られます。「ああこの日の日替わりすごくかわいい」と思ったら、次の瞬間「それを生で観たかった、今日こうして家にいて暇だったんだから行っておけばよかった」という悔しさが生まれます。それが何度も積み重なっていって、「だったら行ける日は全部行っちゃえばいいじゃん」と思うようになりました。

例えば某テニスの舞台だったら一作品60公演もあるし地方もあるから全通は厳しいけれど、幸い推しは都内で両手からちょっとはみ出すくらいの公演数作品に出演することが多かったので、なまじやれば叶ってしまったことも要因としてあると思います。だから、休みの取れない平日昼間以外は大体事前にチケット取って行っていました。

つまるところ、それが、私の推しに対する独占欲でした。

 

そう、多分認めたくないだけで、殆ど同担拒否も同然だったんだと思います。

推しが私たちおたくに見せてくれているのはスポットライトの当たっている一面だけで、その裏はきっとどろどろのぐちゃぐちゃで、それこそ彼女を作ったり別れたり色々凄いんだと思います。皆夢見てるだけで心の奥底でわかってるんです、私たちが観ているのはつくりものの彼らだってことは。

でも、そのスポットライトの当たっている場所だけでも、私は全部知っていたかった。私の知らない推しがいるなんて嫌だった。

だから、自分にほぼ全通なんて要らない枷を嵌めて、勝手に身動きが取れなくなって、結果推すことをやめる、なんてところに着地してしまいまいした。

 

私はこういう性格をしているので、今はゆるくDDぶっていますが、それでも特定の俳優に対しては隙あらば全通したいと思っていますし、心根が変わらない限りまた勝手に苦しんで勝手に諦める機会は何度でも訪れるんだと思います。

でも、私は推しを推さなくなったことで、精神的にすごく安定しています。

推しを推さないと決めたことで、公演期間に私の知らない彼がいても悔しいと必要以上に思わなくなったし、時間もお金ももっと自由に使えるんだと心にゆとりがモテた気がします。勿論、彼が好きな役者の一人であることに代わりはありませんし、彼の演技を観たい気持ちもまだ衰えてはいないので、例えば演出家・脚本家・原作が好きな作品に出演するとなったらまた何公演も通ってしまうんだと思います。でも、面白い作品だったら何度見ても楽しめるだろうから、それは推しを推すに足る理由なので、私は胸を張って劇場に足を運べるだろうと思います。

テスト

昔からあまり人と話すことが得手ではなくて、でもそれでは世界が狭まる一方だから、それを広げるために舞台に足を運ぶようになったのがここ4年くらいの話。

 

きらきら輝きながら時に泥にまみれ時に涙する、そういう彼らを他人事のように応援しながらその感想を溜めていく、これはそういうブログになると思います。